背景事情
「会社と従業員に財産を遺したい」——これは、私が病室で初めてお会いしたときに、被相続人が語られた言葉です。父から引き継いだ会社を守り抜き、信頼する従業員とともに生きてきた人生。その思いを継ぐ遺言を作ろうとしていた矢先、被相続人はその完成を目前にして亡くなられました。
被相続人は東京都北区に居住されていた68歳の男性で、父親が創業した塗装業の会社を15年前に継ぎ、それ以来その会社が人生の支えとなっていました。両親は彼が小学校4年生の時に離婚し、父親に引き取られました。一方、5歳下の実妹は母親に引き取られ、その後音信不通に。加えて、父の再婚により誕生した腹違いの妹が2人おり、特にこの継母および腹違いの妹たちとは折り合いが悪く、長年絶縁状態にありました。
ご相談を受けたのは、被相続人が亡くなった後、医療費や葬儀費用を立て替えていた会社の従業員の方からでした。遺言がない状態では法定相続人が相続手続きを進めることになり、会社は直接手続きをすることができません。誰が相続人になるのか分からない状況でしたので、債権者となる従業員の方から依頼を受けることで戸籍等を収集し、相続人調査を開始しました。
当事務所の対応
戸籍等を取得した結果、唯一の法定相続人である母親も、被相続人の死後3か月後に亡くなっていたことが判明。最終的に、母の権利義務を承継する者として、被相続人の実妹Aさん(63歳)と、母が再婚後にもうけた異父妹Bさん(58歳・神奈川県在住)の2名が浮かび上がりました。私はお二人に手紙を送り、直接お会いして説明する機会を得ました。
当初は突然の連絡に驚かれた様子でしたが、お二人とも「兄の意思をできる限り尊重したい」と快く応じてくださり、被相続人が会社と従業員に財産を託そうとしていたことを理解していただきました。
この事案にはさらに複雑な側面がありました。被相続人が加入していた「しんきん経営者年金」が約2,500万円あったのですが、その受取権者は法定相続人ではなく、民法ではない他の法律で決まることが判明。調査の結果、AさんとBさんのほか、被相続人と長年絶縁状態にあった腹違いの妹2名も受取人になり、それぞれに600万円超の年金が支払われることになることが分かりました。こちらの手続きについてはAさんから依頼を受けてお二人の戸籍等を取得したところ、連絡先が判明し、やり取りの結果、粛々と手続きを行うこととなりました。
相続財産で会社が事業拠点として使用していた自宅兼事務所の不動産については、権利義務承継人2名との間で丁寧に交渉を進め、最終的に会社へ譲渡する形が整いました。税理士や弁護士と密に連携しながら、課税関係にも配慮して進めました。
このようにして、いったん相続人である2名が財産を承継したうえで、不動産や一部の金銭を会社に譲渡するスキームが実現し、完全ではないものの、被相続人の遺志にかなう形で解決に至りました。
解決のポイント
本ケースでは、解決のポイントが複数ありました。
- 遺言が未完成でも「意思の実現」を目指す視点が重要
被相続人の遺志(会社と従業員に財産を遺したい)を尊重しつつ、法的な限界を理解し調整。 - 相続人調査は債権者の立場からでも可能
会社の従業員が立替えた医療費・葬儀費用を根拠に、債権者として戸籍等を取得する。 - 相続財産である会社が使用していた不動産の帰属に関する交渉
会社と権利義務承継人2名との間で不動産の譲渡について合意形成が必要だった。 - 「しんきん経営者年金」の受取人が誰になるか調査が必要
権利義務承継人ではないが、保険契約上の受取人として腹違いの妹2名が各600万円を受領することになり、絶縁状態だった親族にも法的権利が生じ得る現実を踏まえ、冷静な対応が求められた。 - 複数の専門家との連携が不可欠
課税処理・贈与手続き:税理士
財産分配交渉:弁護士 - 遺言が未完成でも「遺志に沿った遺産分配」を実現するためのスキーム構築
一旦、法定相続人(権利義務承継人)が全財産を承継し、その後、会社に対して不動産・現金を譲渡する形で調整。 - 関係者全員が「遺志を尊重する」姿勢を持っていたことが解決の鍵
実妹・異父妹の理解と協力、従業員の尽力がなければ、実現は難しかった。
お客様の声
実妹Aさんからは次のお言葉をいただきました。
「私自身、兄と長く会っていませんでしたが、遺された想いを聞いて心が動きました。兄のためにできることをしたいという気持ちにさせてくれたのは、先生の真摯な説明のおかげです。」
異父妹のBさんからは次のお言葉をいただきました。
「私も最初は戸惑いましたが、兄の考えを知るうちに「これは私たちに託された役目だ」と感じました。自分たちでは到底できなかったことを、先生が一つひとつ導いてくださいました。本当にありがとうございました。」
また、従業員の方からも次のお言葉をいただきました。
「社長が、「財産は会社と従業員に遺す」とおっしゃっていた言葉が、今も耳に残っています。その想いが叶えられずに亡くなられたことは本当に残念でしたが、司法書士の先生が動いてくださったことで、少しでも社長の気持ちに応えることができました。ありがとうございました。」
私がこれまで手がけた中でも、法的にも感情的にも極めて難しい案件の一つでしたが、解決のポイントのとおり、関係者全員が故人の意思を尊重する姿勢で臨んでくださったことが、解決の原動力となりました。また、遺言作成のタイミングの難しさと周囲の理解が大切だと感じた案件となりました。

相続でお困りの際は、ぜひご相談ください。