共働き夫婦の財産は、夫婦だけのものではない?
今日の案件は相続人とほとんど面識のない親戚が6人も現れたって、山田さんが言っていたな。まずは相続人がどうしたいか、じっくり話を聴くことから始めないと。それにしても、暑いな・・・・・・。
梅雨の晴れ間の6月下旬のある日、約束の時間に遅れそうで、私は取引金融機関へと急いでいました。
よく知らない親戚ほど、難しい案件はありません。なぜなら、互いの生活状況やこれまでの人生などがわからないなかで、遺産相続の話を進めていかなければならないからです。ましてや代替わりしていると余計にややこしくなることが多いのも事実です。
面倒なことを言ってくる人がいないといいけれど・・・・・・。
そんなことを考えながら歩いていたからか、気づくと通いなれた駅の出口を間違えていました。
気鬱になっていても仕方がないぞ! そう自分に言い聞かせて、打合せ場所に向かいました。
「すみません、時間ギリギリになってしまって。はじめまして、司法書士の藤川です」
「まあ、すごい汗。暑いなか、わざわざすみません。はじめまして、山川明子です。まずは汗を拭いて、一息ついてください」
大汗をかいて駆けつけた私への気遣いに、先ほどまで気鬱になっていた自分が恥ずかしくなり、「早速お話をお伺いできますか」、と私は気を引き締めました。
明子さんと夫・二郎さん(享年80歳)は、共働きで50年を共にしてきたご夫婦です。
二郎さんは家具職人として働き、明子さんも近くの工場に勤めて生活を支えました。子どもが欲しかったのですが、二度の流産を経験、悲しくつらい思いもされたそうです。
山川夫妻は長いこと都営住宅で暮らし、家賃や光熱費、食費など、日々の生活費は明子さんの働いた分から支払い、二郎さんの稼ぎ分は二人の老後のためにコツコツと貯蓄をしてきました。
ですから、二郎さん名義の預金5000万円は、実質は二人で長年にわたって築き上げた財産です。ところが、二郎さんが遺言書を残さずに亡くなってしまったことから、二郎さんの兄弟姉妹に相続が発生することになったのです。
「夫の親戚とは、義父母のお葬式でしか顔を合わせていません。今回、山田さんに調べていただいて、初めて義姉、義弟、義妹がすでに亡くなっていたことを知りました。甥や姪たちともまったく付き合いがありません。それなのに、彼らにも相続権が発生するなんて、納得がいかないんです。私たち夫婦は旅行にも行ったことがありませんし、外食なんてほとんどしません。たまに、近所のお蕎麦屋さんに行くくらいです。このお金は、夫と私が、そうやって爪に火を点すような生活でコツコツと貯めてきたものです。そんな大切なお金を見も知らない親戚に渡したくありません。藤川さん、なんとかなりませんか」
明子さんは私にそう懇願してきました。
「実際はお二人で貯めたお金であっても、二郎さん名義の預金なので、法律上は親戚にも相続権が発生してしまうんです」
「山田さんにもそう言われてしまって。でも、私は納得いかないんです。だって、夫の親戚とは盆暮れの付き合いもなければ、私たちの生活が苦しかったときでも援助もしてもらっていません」
明子さんは畳みかけるように訴えてきました。
「そうですね・・・・・・。しかし法律上、二郎さんの親戚にも5000万円の4分の1の1250万円は相続権が発生するんです」
「生活費を夫のお金から払っていれば5000万円も貯まってはいません。どうしても親戚に渡さなければならないなら、せめて夫の分として半分の2500万円だけを遺産とすることはできませんか」
「私は司法書士なので、そういうことを私から皆さんにお願いすることはできないんです」
「じゃあ、私が手紙を書けばいいですか」
「そうですね、明子さんのお手紙をつけて、私から相続人の皆さんに連絡を取ってみます」 「どうかどうか、よろしくおねがいします」と明子さんは深々と頭を下げられました。