遺産相続物語

STORY

[個人の財産・会社の財産]

第9回 兄弟で築いた工場、家族の絆でつないだ相続――子のいない夫婦と、事業を受け継いだ甥たちの物語(前編)

  • 投稿:2025年11月09日
  • 更新:2025年11月13日
第9回 兄弟で築いた工場、家族の絆でつないだ相続――子のいない夫婦と、事業を受け継いだ甥たちの物語(前編)

今回は足掛け7年にわたる相続の物語です。
相続業務はスポット業務であるため、ご遺族や関係者と長く深いお付き合いをすることはほとんどありません。それだけにこの案件は大変でもあり、かつやりがいがあったと振り返ることができます。 まずは今から7年前の平成30(2018)年、佐藤正一郎さん(享年88歳)がお亡くなりなったときのことから話をはじめましょう。

株式、土地、建物…会社の財産を相続

取引先の金融機関からの紹介で、正一郎さんの遺産相続のお手伝いをすることになった私は、金融機関の担当者と東京・大森の自宅兼工場を訪問しました。

正一郎さんの遺産は、「株式会社佐藤工業所」の発行済株式60%相当と自宅兼工場の土地・建物(2分の1、5000万円相当)、それに預貯金2500万円です。

まずは正一郎さんとご家族の経歴を簡単にお話ししましょう。

昭和32(1957)年、正一郎さんは一人で金属加工業を始めました。まもなく結婚。妻となった鈴子さんも経理担当として工場を手伝い、二人三脚で工場を軌道に乗せます。その後、高度経済成長の波に乗り経営は順調に推移し、昭和40(1965)年からは弟の昭二郎さんも加わり、それを機に工場を会社組織に移行。それからは妹の和江さん、弟の妻の啓子さんも会社を手伝うことになり、堅実に家族経営を行っていました。

事業が順調だったこともあり、昭和53(1978)年に地主から工場兼自宅の敷地を弟・昭二郎さんとの共有名義で購入し、着実に資産形成も行っていきました。バブル期には大森の土地も大変値上がりしましたが、二人は実直に工場経営を続けていたため、バブルがはじけてもまったく問題はなかったようです。

その後、正一郎さんと鈴子さん夫婦には子どもがいなかったため、後継者問題が起こりました。

しかし、平成15(2003)年に弟・昭二郎さんの長男・圭太さんが、5年後の平成20(2008)年には次男の将太さんも佐藤工業所で働くようになり、後継者問題も解決、家族経営の絆はより強固になったはずでした。

ところが、この頃から経営方針をめぐって正一郎さんと昭二郎さんの兄弟仲が悪化してしまい、それに伴い、仕事以外の親戚付き合いもなくなっていったようです。

80歳で正一郎さんが経営から引退して、圭太さんに社長の座を譲る時にも、正一郎さんと昭二郎さんはろくに口もきかなかったそうです。

こういう状態のまま月日は過ぎ、正一郎さんはお亡くなりになりました。

遺言書はなく、相続人全員で遺産分割協議をする必要があるため、私にその依頼が来たのです。

相続の目的は工場経営を存続させること

今回の依頼は、正一郎さんの妻・鈴子さん(当時84歳)からのものでした。

まず、通常通り、戸籍等を収集し相続人を確定することから仕事を開始しました。その結果、法定相続分として、鈴子さんが4分の3、弟・昭二郎さん(当時82歳)、妹・和江さん(当時75歳)がそれぞれ8分の1ずつの相続権があることが確定しました。

それから私は、妹の和江さん、自宅で療養中の弟の昭二郎さんにお会いして、それぞれの相続の意向を確認していきました。

和江さんは、「兄さんとお義姉さんが二人で築いた財産なんだから、お義姉さんがすべて相続するべきですよ。私は3年前まで工場で働いていたし、それまでも十分なお給料をもらっていたから、食べていけるだけのお金はあります」ときっぱり言われました。

一方、昭二郎さんは、「会社の株式だけは、息子たちに会社を引き継ぐためにも、私が相続したいと思っている。それ以外は義姉さんが相続すればいい。ただ、義姉さんが亡くなった後、工場などの不動産を問題なく会社が使用できるようにしてほしい。私の望みはそれだけだ」と言われました。

和江さんと昭二郎さんの意向を鈴子さんに伝えたところ、鈴子さんも「それでいい」ということでしたが、私は念のために鈴子さんの法定相続人の人数を確認しました。

すると鈴子さんは、「私には兄弟姉妹が7人いましたが、すでに兄や姉は亡くなっています。まあ、その子どもたちも含めると15名くらいにはなると思う」ということでしたが、さらに続けて、「夫が残した財産は、私たち夫婦が協力して築いたものです。そもそも会社があったから築けた財産なのだから、私の兄弟姉妹、甥姪に相続はさせません。会社を継いでくれた圭太と将太の二人の甥にきちんと残せれば、私はいいんです」と希望されました。

そこで私は、「すべての財産を甥二人に遺す」という内容の遺言を作成することを提案し、鈴子さんもそれを了承されました。 これで遺産分割協議がうまくいくと思った矢先、かねてから療養中だった昭二郎さんが亡くなったのです。正一郎さんが亡くなって、約4カ月後のことでした。

後編に続く

第9回 兄弟で築いた工場、家族の絆でつないだ相続――子のいない夫婦と、事業を受け継いだ甥たちの物語(前編)

お問合せ

CONTACT

ご質問やご相談がございましたら、お気軽にお問合せください。
専門スタッフが丁寧に対応いたします。

対応地域

全国対応(海外含む)

初回相談は
無料です