司法書士
藤川健司
司法書士事務所 リーガル・アソシエイツの代表司法書士。三鷹市、武蔵野市、調布市、杉並区、中野区を中心に相続専門の司法書士事務所として、相続全般のサービスを提供。業務歴30年以上。弁護士事務所での実務経験、起業経験を活かして、これまでに2000件以上の相続案件を手掛ける。
STORY
[その他]
第四章:書面に託された、お互いの利害を一致させるアイデア
相手方に弁護士がついたからといって、司法書士である私がその弁護士と直接、条件の掛け合いや交渉を行うことはできません。私の役割は、依頼者である井上社長が孤立無援にならないよう、法的論点を整理したアドバイスを行い、当事者間で交わされる合意書などの「書面作成」を通じて後方支援することにあります。
長男たちが最も強く望んでいたのは、「自宅の土地やマンション、金融資産などのプラスの財産はキッチリと手元に確保しつつ、会社に対する先代の負債(借入金)の返済義務だけは免れたい」という点でした。
一方で、井上社長の目的はあくまで、会社を救うために「先代名義のまま眠っている100%の自社株式」を正当に譲り受けることです。長男たちの自宅やマンションを奪い取りたいわけではありません。
そこで私は、井上社長が先方とスムースに合意形成をするための「提案書面(合意書案)」の作成をお手伝いしました。
「井上社長、長男さんたちの希望をすべて叶えつつ、御社の目的を達成するための文面を用意しました。会社が先代社長に貸し付けていた個人借入金について、会社側はその返済請求権を『すべて免除(放棄)』する。その代わりに、長男さんたちが保有することになった浅井前社長の会社株式を、すべて井上社長へ『無償譲渡』してもらう、という内容です」
井上社長がこの合意書案を長男側の弁護士に提示したところ、先方の態度は一変しました。
長男たちにとっては、懸念していた負債の恐怖が完全に消え去り、念願だった自宅の土地やマンションの権利を無傷で手元に残せるという、これ以上ない救済措置です。一方の井上社長にとっても、会社から先代への貸付金という「回収不能な不良債権」を免除する代わりに、喉から手が出るほど欲しかった経営権(100%の株式)を綺麗に手に入れることができる、双方にとって最適な解決策でした。
「この内容であれば、私のクライアントも喜んで合意します」
相手方の弁護士からもすぐに賛同が得られ、私が作成した合意書をもとに、当事者間での合意が正式に成立したのです。
第五章:動き出した未来と、事業承継の教訓
当事者間での合意に基づき、浅井さんの長男、二男、三男が署名・捺印した株式譲渡の書面が、井上社長を通じて私の元に揃いました。私はそれをもとに、即座に会社内の「株主名簿の書換え手続き」をサポートし、井上貴明さんが会社の全株式を保有する正当なオーナー社長となったことを法的に確定させました。
名実ともに井上さんが100%の株主である証明(株主名簿)が整った瞬間、それまで凍結されていた金融機関からの融資が、堰を切ったように無事に実行されたのです。
「藤川先生、本当に、本当にありがとうございました……!」
融資実行の通知を手に、オフィスで井上社長は晴れ晴れとした笑顔を見せてくれました。
「株主が誰かわからないと言われた時は、先代が命がけで遺してくれたこの会社を、自分の代で潰してしまうんじゃないかと生きた心地がしませんでした。まさか放棄したはずの息子さんたちに相続が戻ってくるなんて、自分たちだけでは絶対に気がつけませんでしたし、先生が戸籍の裏側にある事実を綺麗に整理して書類を作ってくださったおかげで、誰も揉めることなく最高の形で再出発ができます」
株式が完全に井上さんのものになったことで、株主総会を正当に開催できるようになり、会社は長年の悲願であった「先代の名前が入った古い社名」から、新しい時代を見据えた新社名への変更、および本店の移転手続きも一気に実現させることができたのです。
結び:事業承継は「経営権」とセットでなければならない
今回のケースは、「相続放棄をしたからといって、永久にその人間と縁が切れるわけではない」という、法律の網の目が生み出した非常に特殊な事例でした。数次相続や代襲相続の連鎖は、時として実務家さえも驚くようなドラマを生み出します。
しかし、この物語が教えてくれる最も重要な教訓は、テクニカルな法律論の面白さだけではありません。それは、「事業承継において、社長の椅子(代表権)だけを引き継いでも、株式(所有権)をセットで移転しておかなければ、それはいつ爆発するか分からない爆弾を抱えて走るのと同じだ」という過酷な現実です。
先代社長が元気なうちに、あるいは代表者を交代するその瞬間に、自社株式の譲渡や遺言による指定をキッチリと行っていれば、井上社長が会社倒線の危機に瀕することも、長男たちが自宅の土地名義や負債のブーメランに翻弄されることもなかったはずなのです。
「大切な会社と、そこに集まる従業員の生活を、次の世代へ確実につなぐこと」 そのためには、目に見える事業のバトンだけでなく、目に見えない「株式という法的な裏付け」を絶対に後回しにしてはならないのだと、新社名のもとで力強く歩み出した井上さんの背中を見つめながら、私自身も深く胸に刻んだ忘れられない案件となりました。
終わり
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