司法書士
藤川健司
司法書士事務所 リーガル・アソシエイツの代表司法書士。三鷹市、武蔵野市、調布市、杉並区、中野区を中心に相続専門の司法書士事務所として、相続全般のサービスを提供。業務歴30年以上。弁護士事務所での実務経験、起業経験を活かして、これまでに2000件以上の相続案件を手掛ける。
STORY
[その他]
第一章 21年ぶりの名前と、長野からの知らせ
「藤川先生、父が亡くなったと警察から電話がありました。でも、私はあの人を父親だと思いたくもありませんし、1円の遺産も要りません。父との関係を、完全に終わらせたいんです」
初秋の風が吹く日、私の事務所を訪れたのは、東京都三鷹市にお住まいの西村直樹さん(43歳)でした。
直樹さんが語り始めた過去は、静かな話しぶりとは対照的に、重いものでした。 直樹さんのご両親が離婚したのは、直樹さんが22歳のときでした。 原因は、父親である和夫さん(享年75歳)による家庭内暴力(DV)でした。被害は母親だけでなく、直樹さん自身にも及んでいたのです。
母親と家を出て以来、直樹さんは父親と一度も会うことなく、連絡も一切取らずに生きてきました。 21年という歳月は、親子の関係を修復するための時間ではありませんでした。直樹さんにとっては、父親と距離を置き、母親と自分の生活を守るために必要な21年間だったのだと思います。
ところが、その静かな日常を一本の電話が突然破りました。表示された番号は、長野県の警察署でした。
「西村和夫さんという方がアパートで亡くなっているのが見つかりました。所持品の中に、あなたの電話番号が残されていました」
孤独死とみられ、発見されたときには亡くなってから3か月ほどが経過していました。遺体の状態からすぐには本人であるとの確認ができず、警察では司法解剖などによる身元確認が進められていました。
そして数日後、警察から再び電話がありました。「身元が確認できました。お父様で間違いありません」
続いて、遺体の引取りや、その後の行政手続きについて相談したいとの話がありました。 直樹さんにとっては、21年間一度も聞くことのなかった父親の名前でした。しかも、その父親が亡くなり、自分が「息子」として探し出されたのです。
「警察の方から『息子さんですよね』と言われた瞬間、昔のことが一気に戻ってきました。どうして今になって、自分を苦しめた人の後始末をしなければならないのかと思いました」
そして、はっきりと言われました。「父の遺体を引き取るつもりもありません。財産があったとしても要りません。借金があるかどうかも知りたくありません。もう、関わりたくないんです」
今回の相続放棄は、借金から逃れるためのものではありませんでした。21年間守ってきた自分の生活に、再び父親を入り込ませないための選択だったのです。
第二章 借金のためだけではない「相続放棄」
一般的に、相続放棄は「亡くなった人に多額の借金がある場合に行う手続き」と理解されています。しかし実務の現場では、財産のプラス・マイナスとは別に、「もう関わりたくない」「過去の記憶と距離を置きたい」という切実な理由から相続放棄を選択される方もいらっしゃいます。
私は直樹さんに、相続放棄をすると、その相続について法律上は初めから相続人ではなかったものとみなされ、父親の財産も債務も承継しないことを説明しました。
すると直樹さんから、もう一つ質問がありました。「警察から遺体を引き取ってほしいと言われています。相続放棄をしても、息子である以上、遺体だけは引き取らなければならないのでしょうか」
同じような疑問を持たれる方は少なくありません。ここは、相続放棄と遺体の取扱いを分けて考える必要があります。
相続放棄は、亡くなった方の財産や債務を承継しないための制度です。一方で、現実には親族がいても、さまざまな事情から誰も遺体を引き取ることができない、あるいは引取りを希望しないことがあります。 引取者がいない場合には、「行旅病人及び行旅死亡人取扱法」などに基づき、自治体による火葬等の手続が行われる場合があります。
したがって、「相続放棄をすれば、自動的に遺体を引き取らなくてよくなる」ということではありません。
私は直樹さんに、「相続放棄とは別の問題として、遺体を引き取る意思がないことを警察にはっきり伝えましょう。そのうえで、今後どのように取り扱うのかを警察と確認していきます」とお伝えしました。
そして、私から長野県警の担当部署へ連絡を入れました。
直樹さんが父親からDVを受けていたこと。両親の離婚後、21年間一度も父親と連絡を取っていないこと。家庭裁判所へ相続放棄の申述をする予定であること。そして、本人には遺体を引き取る意思がないこと。
こうした事情を一つひとつ説明しました。警察としても、身元が判明した遺体を今後どのように取り扱うのかを決めなければなりません。その後も、警察との間で何度かやり取りを重ねました。
直樹さんの意思は変わりません。「父親とは、もう関わりたくない」
私はその意思を警察に伝えながら、直樹さん自身が何度も過去の事情を説明しなくても済むよう、できる限り窓口となって対応しました。
やがて警察から連絡がありました。「亡くなった方には妹さんがいることが分かりました。そちらにも連絡を取っています」
直樹さんが相続放棄をすれば、次順位の相続人となる父親の妹、直樹さんにとっての叔母でした。 直樹さんは、「叔母とも直接話したくありません。できれば先生にお願いしたいです」 と言われました。 父親の死をきっかけに、21年間閉じていた親族関係まで、再び動き始めていました。
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