遺産相続物語

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第16回 二十年目の「けじめ」――行方不明の長男に下した失踪宣告と、母の決断(後編)

  • 投稿:2026年06月06日
第16回 二十年目の「けじめ」――行方不明の長男に下した失踪宣告と、母の決断(後編)

前編からの続き

動き出した家族の時間――審判の確定と、新天地へ踏み出す笑顔

証明の壁と、地道な開示請求

春江さんの決意を受け、私は家庭裁判所への「失踪宣告申立て」の準備に着手しました。しかし、失踪宣告は一人の人間の法律上の生死を左右する極めて重大な手続きであるため、裁判所が簡単に認めてくれるわけではありません。「最後に生存が確認されたときから7年間、生死が明らかでない」という客観的な事実の証明が厳格に求められるのです。

今回の事案において、最も強力な証拠となるのは、失踪当時にご主人が警察へ提出していた「捜索届(旧・捜索願)」の受理証明やその記録でした。

「春江さん、当時警察から毎年かかってきていたという連絡の記録や、警察署から受け取った書類は手元に残っていませんか?」 「それが……引っ越しや片付けの間に、どこかへ紛失してしまったみたいで ……」

証拠となる書面が手元にない。このままでは、裁判所に失踪の事実を認めてもらうのは困難です。そこで私は、春江さんの代理人として、警察組織に対して「個人情報開示請求」を行う手続きを進めました。

過去の膨大な警察の記録の中から、二十年前の谷川健太さんの捜索届のデータを掘り起こし、正式な書面として開示してもらうための作業です。

官公庁を相手にする手続きは、想像以上に時間を要しました。何度も書類の不備をチェックし、進捗を確認する日々。実際に警察から正式な開示書類が私たちの手元に届くまでには、請求から二ヶ月以上の歳月がかかりました。 「先生、本当に書類が手に入ったのですね」 届いた薄黒いコピーの束を見つめる春江さんの目に、じんわりと涙が浮かんでいました。それは、谷川家が長年、健太さんを捜し続けてきた苦闘の歴史が、公的に証明された瞬間でもありました。

九ヶ月の歳月と、刻まれた「死亡」の二文字

揃った証拠資料を添えて、ようやく家庭裁判所へ失踪宣告の申立てを行いました。 しかし、ここからも法律が定める厳格なステップが待っていました。

裁判所は、行方不明になっている健太さん本人や、彼の生存を知っている人物に対して「心当たりがあれば届け出てください」と促すため、官報などに情報を掲載する「公告期間」を設けます。この公告期間は法律上、最低でも半年間と定められています。

誰も名乗り出ないことを祈るような、あるいは奇跡が起きて健太さんから連絡が来ることをどこかで期待してしまうような、複雑な時間が谷川家に流れていきました。

そして申立てから約九ヶ月後。裁判所からついに、谷川健太さんに対する「失踪宣告の審判」が下され、確定いたしました。

私は確定証明書を携え、春江さんと共に本籍地の区役所へと向かい、戸籍への死亡記載の届出を行いました。 数日後、新しく刷り上がった健太さんの戸籍謄本を春江さんにお手渡ししました。

そこには、公的な事実として、長男の欄に「死亡とみなされる」という文字が、はっきりと刻まれていました。

春江さんはその紙をじっと見つめ、細い指先でそっとその文字をなぞられました。

「やっと、すべての手続きが前に進められます。でも……司法書士の先生に作っていただいた書類を見て、やっぱり母親として、心の中は本当に複雑で、胸が締め付けられるようです 」 春江さんの口から漏れた本音に、私はかける言葉を見つけることができませんでした。二十年間の祈りが、法律によって一つの終止符を打たれた瞬間です。それは単なる手続きの完了ではなく、谷川家にとってあまりにも重い「儀式」だったのです。

動き出した家族の時計と、新天地への一歩

長男の死亡記載が確定したことで、谷川家の相続手続きは一気に加速しました。 健太さんは独身で子供がいなかったため、長男が持っていたはずの相続権は、すべて母親である春江さんへと集約されました。

長女の美穂さんも「お母さんがこれからの人生を安心して送れるように」と全面的に協力してくれ、すべての遺産を春江さんが相続する内容の遺産分割協議が極めてスムースに成立いたしました。

自宅不動産の名義変更(相続登記)が無事に完了したことで、これまで滞っていた道路建設のための収用手続きも一気に進展しました。谷川さんには自治体から適正な補償金が支払われることが決定したのです。

数ヶ月後、春江さんから私の事務所に、一本の電話が入りました。受話器から聞こえる声は、最初に出会ったときのような張り詰めたものではなく、驚くほど軽やかで、晴れやかなものでした。

「藤川先生、あの後ね、娘の美穂と一緒に、新しく移り住む予定のマンションを見に行ってきたんですよ。日当たりが良くて、近くに綺麗な公園もある素敵な場所なんです。気持ちの整理が完全にできたわけではないけれど、あの子の戸籍にけじめをつけたからこそ、私たちはこうして次のステップへ進むことができました。先生が一つひとつ、私たちの心に寄り添って導いてくださったおかげです。本当に、ありがとうございました 」

電話の向こうの春江さんの柔らかな笑顔が、目に浮かぶようでした。

法律という道具は、時に形式的で冷徹な判断を人に迫ることがあります。しかし、その手続きの先にある「けじめ」によって、立ち止まってしまった家族の時間をもう一度動かし、未来へ歩み出すための確かなパスポートに変えることができる。 新天地へ引越し、娘さんと共に新しい生活を始めようとしている春江さんの明日が、温かい光で満たされることを、私は心より願っています。

終わり

第16回 二十年目の「けじめ」――行方不明の長男に下した失踪宣告と、母の決断(後編)

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