司法書士
藤川健司
司法書士事務所 リーガル・アソシエイツの代表司法書士。三鷹市、武蔵野市、調布市、杉並区、中野区を中心に相続専門の司法書士事務所として、相続全般のサービスを提供。業務歴30年以上。弁護士事務所での実務経験、起業経験を活かして、これまでに2000件以上の相続案件を手掛ける。
STORY
[想定外の相続人]
第六章:先入観の向こう側に見えた、本物の愛
東京に戻った私は、すぐに練馬区の植村美香さんのご自宅を訪ねました。 福岡でのクリスティンさんとの面談の内容、彼女が永住資格を持っていたこと、お父様が彼女の老後を思って毎月送金を続けていたこと、遺族年金の手続きを無事進めること、そして――50万円を快く受け入れ、「お墓参りに行かせてほしい」と言っていることを、ありのままに伝えました。
「クリスティンさんは、美香さんがご自身のことを良く思っていないことも、すべて分かっておられました。その上で、美香さんを傷つけないようにと同居を避け、遠くからお父様を支えていたんです。50万円をしっかりとお渡ししたことで、クリスティンさんも『美香さんの気持ちが嬉しい』と本当に感謝されていましたよ」
私の言葉を聞きながら、美香さんは呆然とした表情で立ち尽くしていました。膝の上に置かれた彼女の手が、かすかに震えています。
「……そう、だったんですか」 美香さんの口から、絞り出すような声が漏れました。
「私はずっと、父が母を裏切って、若い外国人の女性に騙されているんだと思い込んでいました。周りからどう見られるかばかりを気にして、父の気持ちも、彼女の気持ちも、何一つ分かろうとしていませんでした。お金をいくらかでも受け取ってもらえて、本当に、私の勝手な意地ですが、少し気持ちが軽くなりました……。父は彼女を守りたかった。そして彼女も、私に気を使って身を引いてくれていたんですね」
美香さんの目から、涙がとめどなく溢れ出しました。 長年、心の奥底に固く結ばれていた「父への嫌悪感」と「クリスティンさんへの先入観」という冷たい絆が、クリスティンさんの温かい真実と、50万円という誠実な精算によって、音を立てて解けていくようでした。
「藤川先生。彼女にお墓の場所を教えるなんて、そんなの、嫌なわけありません。今まで冷たい態度をとってしまって申し訳なかったと、私からも謝りたいです。今度、彼女が東京に来るときは、私が一緒にお墓へ案内します。父が愛した人を、私もちゃんと知りたいですから」
結び:相続が教えてくれた「理解」という光
その後、手続きは極めてスムースに進みました。クリスティンさんから美香さんへの権利譲渡が成立し、600万円の預貯金は姉妹がしっかりと相続を完了。クリスティンさんの遺族年金の手続きも無事に走り出しました。
この仕事をしていて、毎日のように「お金をどう分けるか」という議論に直面します。法律は、遺産をきっちり数字で切り分けるための道具です。しかし、どれだけ完璧に財産を分けたとしても、遺された人たちの心の傷や、家族の間のすれ違いまでを解決することはできません。
今回のケースで、もし私が郵送だけで機械的に「遺産放棄の書類」を送り、1円も渡さずにサインだけをもらって終わらせていたらどうなっていたでしょうか。美香さんは「若い後妻から遺産を奪い取ってしまった」という、新たな後ろめたさや誤解を一生抱えたまま生きていたかもしれません。
「50万円」という対価を支払うことで、美香さんはクリスティンさんの権利を正当に譲り受け、クリスティンさんもまた、和夫さんが残してくれた年金というこれからの安心を手に入れた。そして何より、相手の立場に立ち、相手の人生の背景を「理解しよう」としたとき、初めて先入観という霧の向こうにある、本当の優しさや愛が見えてきたのです。
数週間後、美香さんからお電話をいただきました。
「先生、クリスティンさんがお墓参りに来ることになりました。今度は私が案内しようと思います」電話口の声は、最初に相談に来られたときよりずっと穏やかでした。「相続」という手続きの枠を超え、二人の女性の間に新しい「理解」と「絆」が生まれた瞬間でした。その光景を、お父様もきっと天国から、誰よりも嬉しそうに眺めているに違いありません。
終わり
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