司法書士
藤川健司
司法書士事務所 リーガル・アソシエイツの代表司法書士。三鷹市、武蔵野市、調布市、杉並区、中野区を中心に相続専門の司法書士事務所として、相続全般のサービスを提供。業務歴30年以上。弁護士事務所での実務経験、起業経験を活かして、これまでに2000件以上の相続案件を手掛ける。
STORY
[想定外の相続人]
第三章:福岡への旅路と、お父様が残した「優しさの形」
福岡へ発つ前に、私は司法書士として、ある「事前調査」を行いました。お父様の過去の送金記録や通帳の履歴を調べると、和夫さんは東京から福岡のクリスティンさんに向けて、毎月5万円程度の生活費を長年、欠かさず送り続けていたことが分かったのです。これは、二人が離れて暮らしていても、法的な「生計維持関係」があったことの動かぬ証拠です。
「お父様は、毎月欠かさず奥様の生活を支えていたんだな……。であれば、遺族年金の受給要件を十分に満たしている可能性が高い」
さらに調査を進めると、クリスティンさんが受給できる遺族年金は、月額10万円を超える見込みであることが分かりました。
「美香さんには、お父様へのわだかまりがある。けれど、クリスティンさんという一人の女性の人生をしっかり見つめ、理解しようとしなければ、この相続は本当の意味での解決にはならない」
私はカバンに調査書類と遺産分割の資料を詰め込み、羽田空港から福岡へと飛び立ちました。それは、単に書類にサインをもらいに行くだけの旅ではなく、二人の女性の間にある「見えない壁」を解きほぐすための、最初の一歩でした。
第四章:福岡での面談、そして明かされた「永住」の理由
羽田空港から飛行機に乗り、私はクリスティンさんが暮らす福岡へと向かいました。待ち合わせ場所に指定された静かな喫茶店で待っていると、「藤川先生ですか?」と、小柄で上品な女性が声をかけてきました。和夫さんの妻、クリスティンさんです。
彼女は丁寧に頭を下げると、すぐに「わざわざ遠くまでありがとうございます。和夫さんのこと、美香さんから人づてに聞いたときは本当にショックでした……。最後に立ち会えなくて、ごめんなさい」と、寂しそうな笑顔を浮かべました。
私はまず、事前に調べて持参した「遺族年金」の資料を開きました。
「クリスティンさん。お父様はクリスティンさんに毎月、欠かさず生活費を送られていました。そのおかげで、クリスティンさんにはこれから国から月に10万円以上の遺族年金が支給される可能性が非常に高いです。ぜひ、この受け取りの手続きを進めましょう」
そう伝えると、クリスティンさんは驚いたように目を見張りましたが、「和夫さんは本当に優しい人でした。亡くなってからも私を助けてくれるんですね……」と、ぽろぽろと涙を流し、手続きを私に委ねてくださいました。
続いて、気になっていた「在留資格」について確認をさせていただきました。日本人の配偶者が亡くなると、外国籍の方はビザの変更を迫られるケースが多いからです。 クリスティンさんがカバンから取り出したカードに書かれていたのは、幸いにも「永住者」の文字でした。
「実はね、先生。ずいぶん前に永住の資格を取ったんです。和夫さんが『もし僕が先に死んだら、クリスティンが日本にいられなくなるかもしれない。だから今のうちに永住のビザを取ろう』って、一緒に入国管理局へ連れて行って手続きをしてくれたんです。私はフィリピンに帰るつもりはありません。和夫さんと過ごしたこの日本が、私の故郷ですから」
クリスティンさんは、愛おしそうに在留カードを見つめていました。
美香さんは当初「財産やビザがお目当てだったのではないか」と疑っていましたが、現実は真逆だったのです。お父様のほうが、「自分が死んだ後も、クリスティンが日本で安心して暮らせるように」と、彼女の人生を必死に守ろうとしていた。それが、毎月の送金であり、永住資格の取得だったのです。
第五章:わだかまりを解く「50万円」の重み
机の上に、600万円の預貯金を分けるための「遺産の分配案」を広げました。法律どおりにいけば、クリスティンさんの法定相続分は半分の300万円です。
しかし、クリスティンさんは分配案に目を落としたまま、静かにこう言ったのです。
「藤川先生、私はこのお金をたくさんもらうつもりはありません。全部、美香さんと妹さんで分けてください。和夫さんから、もう十分すぎるほどの優しさをもらいましたし、遺族年金の手続きをしてくださるなら、それで私は静かに生きていけます」
彼女はお金のために和夫さんと結婚したのではなかったのです。ただ、今回の面談にあたり、私は美香さんから事前に「クリスティンさんのために使ってほしい」と、ある程度の予算を預かっていました。
「クリスティンさん、そのお気持ちだけで、東京にいる美香さんの心は救われると思います。ただ、美香さんもね、これまでクリスティンさんに対して頑なに心を閉ざしてしまっていたことに、ずっと割り切れない思いを抱えていたんです。ですから、クリスティンさんの相続分の権利を美香さんが譲り受ける代わりに、この50万円を美香さんからの感謝の気持ちとして受け取っていただけないでしょうか」
私がそう言って、美香さんから託された50万円の提案を伝えると、クリスティンさんは少し驚いたようでしたが、美香さんの“不器用な誠意”を感じ取ったのか、深く頷いてくれました。
「……分かりました。美香さんの気持ち、ありがたくいただきます。でも、先生、ひとつだけ、私からもお願いがあります。和夫さんのお墓の場所を、教えてほしいんです。美香さんが私のことを嫌っているのは、ずっと前から知っていました。突然、自分と同じくらいの年齢の外国人が家に入ってきたら、嫌になるのは当たり前です。だから私は、美香さんを傷つけないように、実家には同居せず、離れて暮らすことにしたんです。でも、最後にお墓の前でお線香をあげて、ありがとうと言いたいんです。それだけが、私の望みです」 クリスティンさんはそう言って、愛おしそうに書類にサインをしてくださいました。長女である美香さんの「複雑な感情」をもすべて理解し、受け入れた上で、一歩引いてお父様を愛し続けていた彼女の姿が、そこにはありました。
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